ご希望の路面電車[市電・都電]情報を無料で検索できます。

施設検索/ホームメイト・リサーチTOP

ルートナビ
路面電車[市電・都電]
トップページへ戻る
トップページへ戻る

路面電車情報

熊本電気鉄道



軽便鉄道として始まった歴史が、電化により軌道による電車へ、さらには地方鉄道へと時代の動きに合わせて形を変えていった、熊本電気鉄道について紹介します。

熊本電気鉄道の黎明期

熊本電気鉄道の黎明期

前身の菊池軌道は熊本市と隈府町(現・菊池市)を結ぶためにつくられた軽便鉄道として、1909(明治42)年にその歴史をスタートさせています。そして1911(明治44)年10月1日には、まず池田~千反田(現在の藤崎宮前)間が開業し、5ヵ所に停留所が設置され、4つの区間に分けられました。軌間は914mm、運賃は1区1銭で所要時間は18分でした。

菊池地方で唯一の交通機関として地元住民から歓迎され、開通日から翌年3月31日までの6ヵ月間の乗客数は4万8千人を数え、翌年は1年間で10万人以上に利用されるようになりました。1913年(大正2年)には、隈府~高江間が、続いて千反田~高江間も開通し、これにより全通となりました。千反田~隈府間には全部で12の停留所が設けられ、運賃は千反田~高江まで乗ると38銭と、当時としては高めでしたが客足は減らず、この年の1年の乗客数は32万8千人に上りました。

県内初の電車として期待と注目を集める

その後、914mmから1,067mmへの改軌工事や道路の建設工事、電化工事が同時に進められます。1923(大正12)年には、上熊本~室園間の電化営業が開始され、さらに室園~隈府間の電化営業もスタートし、社名を菊池電気軌道と改めます。これは当時、熊本で初めての電車だったということもあり、地元の新聞などでも大々的に報じられました。

しかし、昭和に入って間もなく、1927(昭和2)年と1929(昭和4)年の2度にわたる水害により、線路が流出するなどの大きな被害を受けます。電化による投資直後の水害や不況などで、経営は悪化してしまいます。

軍需輸送への対応で地方鉄道となるも廃止へ

昭和10年代に入ると軍需輸送が増大します。軍の人と物の輸送を引き受けることになった菊池電気軌道では、輸送人員が大幅に増加し、これへの対応を迫られると、軌道よりも高い輸送力を持つ地方鉄道に変更することを決定します。1942(昭和17)年には藤崎宮~隈府間を鉄道に変更し、同時に社名を菊池電気鉄道と改めました。その後、社名が現在の熊本電気鉄道に変更されたのは、1948年1月1日のことでした。また、1950(昭和25)年には上熊本~北熊本間が開通し、輸送体系が上熊本~隈府間を中心としたものに変更されました。この後も、上熊本~藤崎宮前間は軌道線として残されていましたが、1954(昭和29)年に熊本市交通局に譲渡され、一部区間が廃止されました。そして1970(昭和45)年になると、正式に廃止が決まることになりました。