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日本で最初に路面電車を走らせた
京都市交通局



全国に先駆けて、日本初の路面電車を走らせた京都で、83年間にわたって市民に愛されてきた京都市交通局の軌跡を辿ります。

京都市交通局の黎明期

京都市交通局の黎明期

日本で最初に路面電車を実用化したのは京都であり、1895(明治28)年に京都電気鉄道が、京都で路面電車を走らせました。記念すべき最初の実用化が東京でも大阪でもなく京都だった背景には、琵琶湖疏水から引いた水力発電がすでに稼働していたことが挙げられます。また、かつての都だったことで道路整備が十分だったこと、さらには観光地としての需要が見込めることなども、その大きな要因となりました。最初に開業したのは東洞院塩小路下ル~伏見下油掛間で、次いで七条~木屋町通~岡崎博覧会場間を開通させます。この成功がのちに全国での路面電車ブームへとつながっていきました。

市電の登場から急速な拡大、そして一本化へ

一方、京都電軌鉄道とは別に、京都市が独自に電気鉄道事業を推進します。1912(明治45)年には、烏丸線、千本・大宮線、丸太町線、四条線の計7.7kmを開通させます。京都電軌鉄道の軌間が1,067mmだったことに対し、京都市のものは1,435mmで、乗り入れもできないまま同じルートを通る区間が多数ありました。それでも路線の拡大は続き、碁盤の目の形をした京都市内の道路上に、路面電車の一大ネットワークが完成します。

しかしこの時期、市民が京都市電と京都電気鉄道の双方を利用する場合、通行税を2回払う必要があったことや、大正天皇の即位の礼に合わせて、交通網整備が急がれたことなども考慮され、1918(大正7)年7月に京都市は京都電気鉄道の買収を実現させました。こうしてようやく京都市内の路面電車は一本化されることになりました。

大盛況から一転、瞬く間に訪れた最後のとき

一本化されるとすぐに電気軌道事務所は電気部に改称し、軌間の違いを克服するための工事に着手します。その後の京都市電の経営は順調に推移し、年間乗客数は1億人にも上っていました。昭和不況で一時は苦境を強いられるものの、京都市は路線の拡張を続け、戦時のガソリン不足から市電への輸送需要の高まりを受けて、再び活気を取り戻します。それ以降、1939(昭和14)年までは計画通り、路線の拡大を続けることになります。

京都は空襲をほとんど受けなかったこともあり、戦中における車両や設備の被災はなく、幸運にも戦後復興は比較的容易なものとなりました。戦後すぐに電気局は交通局に改組されると経営は安定し、昭和30年代に入ると市内北部への延伸を始めるなど、黄金時代を迎えます。

しかし、ここから衰退へと向かいます。原因は自動車の台頭による財政悪化で、昭和40年代には累積赤字が35億円にも膨らみ、財政再建団体に指定されるまでになっていました。やがて次々と路線が廃止され始め、1978(昭和53)年9月30日には、京都の発展と路面電車の普及に貢献してきた83年の歴史にピリオドが打たれました。