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わずか35年で姿を消した西武鉄道大宮線



西武鉄道大宮線は、設立から廃線に至るまで、たび重なる合併や買収を繰り返し、最後はバスや旧国鉄といった競合たちと厳しく激しい攻防を繰り広げてきました。その足跡を辿ります。

西武鉄道大宮線の黎明期

西武鉄道大宮線の黎明期

昔、西武鉄道大宮線は、川越電気鉄道の路線であり、この川越電気鉄道は、川越~大宮間を電気鉄道で結ぶと同時に、電気を供給することが目的で、川越の資本家・綾部利右衛門によって創設されました。これにより、甲部鉄道国分寺から川越鉄道経由で2時間半要していた東京~川越間が、1時間半に短縮されるようになりました。この川越電気鉄道には前史があり、そもそもは1902(明治35)年に設立された川越馬車鉄道が始まりで、翌年10月に川越電灯と合併すると名称を「川越電気鉄道」とし、1906(明治39)年に川越~大宮間の軌道が完成すると、すぐに運行を開始しました。しかしその後、1914(大正3)年、川越電気鉄道は神流川水力電気と合併し「武蔵水電」と名称を改めます。

西武鉄道(旧)の誕生

その頃、淀橋町~荻窪村間6.0kmを開通させていた西武軌道を合併しますが、電気事業の業績悪化から経営難に陥り、翌年の1922(大正11)年には帝国電燈に吸収されてしまいます。しかし、この合併からわずかの間に、帝国電燈は武蔵水電の創設者である綾部利右衛門に軌道部門を譲渡します。こうして綾部利右衛門は西武鉄道(現在における西武鉄道の前身のひとつで「旧西武鉄道」として区別されている)を設立しました。

バスや旧国鉄との競合により廃線へ

こうして東京進出が夢であった綾部によって、西武鉄道(旧)が本格的にスタートし、1927(昭和2)年には東村山高田馬場間が開通し、これが現在の西武鉄道新宿線のルーツになっています。一方で、西武鉄道大宮線になった元川越電気鉄道の路線は、特に変化のないまま推移していきます。しかし昭和に入って運行本数が上下線ともに18本と減少するなど、苦戦を強いられることになります。

さらに1930(昭和5)年には、国鉄の前身である鉄道省が大宮高麗川を結ぶ「川越線」を開通させ、川越~大宮間を約29分で結ぶという便利さから乗客が奪われるなど事態は急変します。経路はやや異なるものの競合していくことになりますが、こうした経過をふまえ西武鉄道(旧)はもはや不要という判断が下されます。1941(昭和16)年には、正式に廃線が決まり、かつて多くの人に親しまれた西武鉄道大宮線は姿を消すことになったのでした。