ご希望の路面電車[市電・都電]情報を無料で検索できます。

施設検索/ホームメイト・リサーチTOP

ホームメイト路面電車[市電・都電]リサーチ

路面電車情報

阪神急行電鉄「北野線」



大阪梅田の都心部を走る阪神急行電鉄北野線は、路線の長さがわずか800mで桑名電軌よりも短い、日本で最も短距離区間の路面電車でした。懸案となった複線高架化の工事完了を待つことなく、休止に追い込まれたその経緯を紹介します。

阪神急行電鉄北野線の黎明期

阪神急行電鉄北野線の黎明期

阪神急行電鉄北野線の歴史は、箕面有馬電気軌道宝塚線が梅田駅宝塚駅間、石橋駅箕面駅間を開業させた1910(明治43)年まで遡ります。ほぼ全線で専用軌道を走っていましたが、1926(大正15)年7月に梅田~北野間が分離され、阪神急行電鉄北野線として運行されることになります。軌間は1,435mmで、起点となった梅田停留所から終点の北野まではわずか800mしかなく、当時日本一短い路面電車と言われた桑名電軌よりもさらに短い路線でした。駅数は3つで、所要時間はわずか5分でした。車両は大阪市電のものを譲り受ける形で、単車の151形4両が終日運行していました。のちに箕面線から移動してきた34形と交代し、当時の車両としては珍しく、菱形パンタグラフを採用し、上部に前照灯が付けられており、ハイカラだと人気が高い車両でした。

京阪電気鉄道との合併と路線強化

1943(昭和18)年10月には、京阪電気鉄道との合併により、社名を京阪神急行鉄道と改めると、旧京阪電気鉄道の京都十三間(現・阪急京都本線)の梅田乗り入れが決まります。これにより高架化による路線強化を図った梅田~十三間が再び逼迫することになるため、対応策として北野線を十三まで延伸する名目で、高架の複線を増設することが決まりました。1928(昭和3)年頃に、北野線の軌道延長に関する特許を取得していたことが功を奏した形となりました。しかし、時代は戦争の最中であり、高架工事は思うように進まず、そのまま終戦を迎えることになりました。

複線高架化を待たずしての運行休止

戦後は乗客数が激減したこともあり、梅田~十三間の複線高架化の実現を待たずして1949(昭和24)年1月1日、北野線は運転を休止されます。大阪市や沿線住民との調整が上手くつかなかったこともあり、休止後の1959(昭和34)年には、梅田~十三間における京都本線の複線敷設の際、軌道敷き部分を道路にして空いたスペースに高架橋を設置し、梅田~十三間の複線高架化がようやく実現します。こうした経緯から北野線自体は事実上廃線となったものの、名目上は現在も休止扱いとなっており、京都本線専用線の梅田乗り入れをもって「復活」とする見方もあります。