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路面電車情報

かぼちゃカラーの新潟電鉄



最後の最後まで「電鉄」の愛称で親しまれ、ファンに惜しまれながらその姿を消していった新潟交通は、戦災だけでなく新潟地震などにも見舞われた悲運の電車でした。

川蒸気船に代わり登場した「新潟交通」

川蒸気船に代わり登場した「新潟交通」

新潟県西蒲原郡は信濃川の分流である中ノ口川流域に位置しており、このあたりは古くから舟運が盛んな地域でした。そのため新潟市との交通は川蒸気船に頼っていたのですが、大正時代に入り、鉄道建設のニーズが高まってきます。

そこで1925(大正14)年7月、新潟水力電気会社が「中之口電気鉄道」名義で新潟白山浦(県庁前)~燕間の軌道敷設特許を申請、1928(昭和3)年に特許が下りると、翌年正式に会社が発足します。当初、白山浦~燕間32kmのうち、専用軌道8.8kmの他はすべて道路上に建設される予定でした。しかし最終的には全区間の専用軌道を採用し、1933(昭和8)年東関屋~白根間17.0kmが開業しました。その約4ヵ月後の8月には県庁前~東関屋間2.6kmが、さらには同年8月に白根~燕間16.1kmが相次いで開業しました。

「小型電車」の登場

「小型電車」の名を持つモハ1形1号と2号の2両があり、定員は50人、全長は9.5mとまさに小型でした。屋根の中央にパンタグラフが搭載され、ポールやビューゲルで集電するのが普通だった戦前の路面電車の中では、かなり珍しい部類に入ります。停留場は「県庁前」から「監督署小路」「白山駅前」「商業通り」「中学校前」「軽金前」「硫酸会社前」、そして「東関谷」の順に停車し、所要時間は県庁前~東関屋間で10分であり、本数も少なく、大体30~45分間隔で運行されていました。

新潟交通への改称と電車の廃止

新潟電鉄は1944(昭和19)年の12月31日、新潟合同自動車と合併し、新潟交通と改称します。しかし、小型電車は戦時下において「不要不急」と言われるようになり、1944(昭和19)年8月31日限りで廃止となります。車両は同年10月に開業した川崎市電に売却されてしまい、戦争が終わったあとも、結局そのまま小型電車が復活することはありませんでした。

その後、1950(昭和25)年にはルート変更で廃止が決まっていた国鉄越後線の廃線跡を利用して専用軌道に変更し、狭い道路上を走る現行ルートは廃止する予定でしたが、この計画もコストの関係で中止となってしまいます。さらに1964(昭和39)年には新潟地震により鉄道線が1ヵ月、軌道線にいたっては半年以上の運休を余儀なくされるなど不運にも見舞われます。最終的には1992(平成4)年4月1日付で白山前~東関屋間が廃止されたのをはじめ、残りの区間も1999(平成11)年までにすべてが廃止となり、新潟交通の電車は全廃されることになったのです。