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路面電車情報

静岡鉄道清水市内道線



清水市内線は、「静鉄」の愛称で親しまれた静岡鉄道の一路線として、静鉄の静岡市内線とも接続しながら清水市内の市街地を走っていました。豪雨災害にも見舞われ不運な結末を迎えた、静岡鉄道清水市内線の軌跡を辿ります。

前身である静岡電気鉄道の黎明期

前身である静岡電気鉄道の黎明期

静岡鉄道清水市内線は、静岡清水線の一部として1928(昭和3)年12月、港橋~江尻新道(のちの相生町、現・新清水)間(1.1km)で開業しました。当時の相生町~鷹匠町(現・新静岡)間も当時は軌道扱いで、1929(昭和4)年には静岡市内線の安西と、静岡清水線を介して港橋との直通運転が行なわれます。

そして、同じ年の7月に江尻新道~横砂間(3.54km)が開業しますが、この段階では東海道本線を挟んでレールが分断されていました。そのため、港橋から横砂方面へと向かう場合には、一度踏切を渡ってから乗り換えなければなりませんでした。4年後の1933(昭和8)年になると、ようやく東海道本線をまたぐ陸橋(富士見大橋)が完成し、直通運転が開始されました。

静岡鉄道清水市内線としての新たな門出

1943(昭和18)年になると、静岡電気鉄道は藤相鉄道と中遠鉄道との戦時合併によって、静岡鉄道として新たなスタートを切りました。戦後間もなく静岡清水線は法規上、地方鉄道に変更され、軌道線である清水市内線(及び静岡市内線)とは分離されます。1954(昭和29)年の夏には、鷹匠町~港橋間で直通の快速電車が運行されるようになりました。港橋から船で三保へ向かう海水浴客向けのものであり、当時は袖師(そでし)付近でも泳ぐことができました。

時代の波と集中豪雨による災害にも見舞われ廃止へ

しかし昭和30年代に入ると、国道1号線や149号線の混雑が激しくなったことや、停留所に安全地帯がないことなどを理由に、市民に愛された路面電車は危険であるという声が上がるようになります。

さらに「七夕豪雨」と称された1974(昭和49)年7月7日、集中豪雨により鈴木島(すきじま)~袖師間の庵原川橋梁が被災してしまいます。これを受けて、港橋~西久保間で折り返し運転を行なってきたものの、不通区間が復旧されないまま、1976(昭和51)年3月22日をもって全線が廃止されます。

その後、付近を走っているバスでは、現在でも終点の横砂は「横砂駅」と名乗っています。当時の出来事を知らない若い世代や、観光などで別の土地から訪れた人たちの中には、なぜ横砂駅という駅が現在存在しないのに、「駅」と付けられているのかと、標識を見て不思議に感じている人も見受けられます。