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路面電車情報

激動のアメリカで一瞬輝いた
インターアーバン



車両の高規格化・高性能化によってもたらされた郊外への電車の進出が、インターアーバンという概念を生み出しました。アメリカで大ブームを巻き起こしたインターアーバンの定義と歴史を振り返ります。

車種でも運行形態でもない、あくまで概念としての定義

車種でも運行形態でもない、あくまで概念としての定義

インターアーバンとは「インターアーバン・エレクトリック・レイルウェイ」の略で、都市と都市とを結ぶ「都市間電車」のことです。ミネアポリス州のミネアポリスとセントポールとを結ぶ路面電車をそう呼んだことから、この名が用いられるようになりました。

基本的な概念としては、都市内輸送中心の「鉄道」、大陸横断はじめ数百kmに及ぶ「長距離鉄道」と区別して呼ばれています。当時のアメリカでインターアーバンと呼ばれていた鉄道の大まかな定義には次のようなものがあります。

  • 市街地では併用軌道、郊外では専用軌道
  • 旅客輸送が中心
  • ボギー車で連結運転が行なわれる
  • 軌道は簡便
  • 50マイル程度の距離が最も効果を発揮した
  • 1890(明治23)年~1930(昭和5)年までに建設されたもの
  • 軌間は914mmのものが多い

実は、この定義の多くに当てはまるものとして、日本では福井鉄道福武線、京阪電鉄京津線、広島電鉄宮島線、広島電鉄市内線、鹿児島市電谷山線が挙げられます。日本で最初に、インターアーバンとしての性格を持つ鉄道をスタートさせたのは阪神電気軌道で、大阪神戸間を専用軌道によって高速運転で結びました。この取り組みはスタンフォード大学で電気工学を学び、当時アメリカにおけるインターアーバンブームを見てきた三崎省三氏の意向によるものでした。

時代の転換とともにその役割を終えた

「インターアーバン」という言葉の定義自体があまり明確ではないため、その起源もまた明確に規定することが難しいとされています。しかし、アメリカの発明家スプレイグが1887(明治20)年に開発した吊り掛け駆動方式によって、大型車両を連ねて輸送できるようになるなど、路面電車の走行性能に飛躍的な向上がもたらされました。このことが、市街地以外への進出を促したひとつの契機になっていました。

やがて1900年代に入ってすぐ、インターアーバンが急速に普及し、全米各地で2万4千kmにもおよぶ路線網が張り巡らされましたが、ここでピークは終わってしまいます。その後1907年に起こった金融恐慌や、1920年代の急速なモータリゼーションの進展と大陸横断路線を含めたバスの拡大により、1920年代末になると廃止路線が相次ぎました。現在はシカゴの「サウス・ショアー線」やフィラデルフィアの「サブアーバン・トランスポート」など、いくつかの路線が残るのみとなっています。