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路面電車[市電・都電]

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75年ぶりの再開!路面電車が走る栃木県/ホームメイト

栃木県宇都宮市の交通の歴史は人車軌道(じんしゃきどう:人力で押して走らせる鉄道)から始まり、日光では観光輸送を目的とした路面電車が走っていました。2023年(令和5年)8月には、国内で新たに開業する路面電車としては75年ぶりとなる、「芳賀・宇都宮LRT」の運行が始まり、注目を集めています。「75年ぶりの再開!路面電車が走る栃木県」では、栃木県における路面電車の歴史を見ていきましょう。芳賀・宇都宮LRTが開業することになった背景についても解説します。

栃木県を走っていた路面電車の歴史

路面電車ならぬ「宇都宮の人車軌道」

栃木県を走っていた路面電車の歴史

明治時代、栃木県宇都宮市では、路面電車ではなく人車軌道が物資輸送手段として活躍していました。

もともと宇都宮の北西部に位置する大谷町では、「軽石凝灰岩」(かるいしぎょうかいがん:軽石片を多く含む岩石)が多く産出され、「大谷石」(おおやいし)として地場産業が繁栄。古くは縄文時代の竪穴住居でも大谷石は使われており、今日でも宇都宮の特産物のひとつとされています。

人車軌道が開業したのは1896年(明治29年)。大谷石の輸送を目的に軌道が敷かれ、観光客誘致にも一役買いました。大谷町周辺は景勝地が多く、宇都宮の奥座敷とも呼ばれる土地。大谷町と宇都宮を結ぶ人車軌道は、トロッコで人や石材を輸送し、多い日には1日300人もの利用者があったと言われています。

その後、大正時代になると「軽便鉄道」(けいべんてつどう)へと姿を変え、輸送できる量も大幅に向上。大谷石が全国各地に滞りなく出荷できるようになりました。軽便鉄道とは、鉄道よりも線路幅が狭い、機関車の小型版のような輸送システムです。

その後、自動車などの普及で需要が減り、1964年(昭和39年)に廃止となりました。

日光軌道線

栃木県の人気観光地である日光にもかつて、「日光軌道線」と呼ばれる路面電車が走っていました。日光軌道線は「日光駅前」から、いろは坂を登ったところにある「馬返」(うまがえし)までを結んだ路面電車。1910年(明治43年)に開業し、「日光東照宮」や「日光二荒山神社」(にっこうふたらさんじんじゃ)への送客、青銅所からの物資輸送などが主な運行目的でした。

第2次世界大戦後には国内旅行ブームも相まって、日光軌道線の年間旅客数は450万人を超えています。その後、自動車利用の普及によって需要が減り始め、1968年(昭和43年)に全線営業廃止となりました。

宇都宮市で開業した次世代型路面電車「宇都宮LRT」とは?

75年ぶりに新たな路面電車が宇都宮で開業

75年ぶりに新たな路面電車が宇都宮で開業

栃木県の宇都宮市では、2023年(令和5年)に「芳賀・宇都宮LRT」が開業。国内で新たに運行を始める路面電車としては75年ぶりで、全区間LRTとなる電車は全国初の試みです。

「LRT」とはLight Rail Transitの略で、「次世代型路面電車」などとも呼ばれます。低床式車両を採用しているため、乗り降りが容易なのが特徴。車いすの利用者や高齢者にとっても親しみやすい設計になっています。また、静かで滑らかな乗り心地と、低炭素で環境負荷の低い点もLRTの魅力。人と環境に優しい交通システムとして、近年注目を集めています。

≪LRTのメリット≫

  • 交通環境負荷の軽減
  • 交通転換による渋滞緩和、交通円滑化
  • 低床式車両による移動のバリアフリー化
  • 公共交通ネットワークの充実

コンパクトなまちづくりに寄与する次世代型路面電車

宇都宮と芳賀町をつなぐ芳賀・宇都宮LRTは、持続可能な都市開発を目指す栃木県の野心的なプロジェクトの一環です。商業エリアや大学キャンパス、サッカースタジアムなどの主要スポットの近くを通るため、地域経済の活性化も見込まれています。

宇都宮をはじめとする地方都市は、人口減少と少子高齢化が深刻です。宇都宮市はLRTを導入することで、市内の交通網の再構築を推進。コンパクトなまちづくりにつなげていく計画です。LRTが都市の持続可能な発展に貢献し、将来的には栃木県の公共交通の象徴となることが期待されています。

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